ロータリーエンジン 技術者魂 永久に・・・
2005年 12月 13日
RX-7は他社とは一線を画すエンジンを積んでいた。その名もロータリーエンジン。
西ドイツの技術者バンケルが発明したこのエンジン。ローターの回転をそのまま動力として取り出すことが出来るその技術に、世界のメーカーが何社も飛びついた。
当時、まだ小さなメーカーだった東洋工業(マツダ)もそのひとつであった。
しかしこのロータリーエンジン、とんでもない欠陥品だった。
世界のメーカーが手を焼く中、山本健一率いる
マツダのロータリーエンジン開発チーム、通称ロータリー47士は「悪魔の爪あと」と呼ばれる欠陥を克服。世界初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発表する。
美しいフォルムにつつまれたそのスポーツカーに、
マスコミはこぞって「広島の奇跡」と賞賛した。
公害が問題となっていた70年代。アメリカで可決された排気ガス規制法案マスキー法。
ホンダのCVCCエンジンが世界で始めてその基準値をクリアする。
一方、ロータリーエンジンは全く違う構造のエンジンでありながらこの基準をクリアする。
低公害、という売りも加わり、ロータリーエンジンはさらに勢いを増していくかに思われた。
1973年、オイルショック。
ロータリーエンジン車はその燃費の悪さを批判され、勢いは止まる。
マツダは、どん底にいた。
そんななか、ロータリーエンジンの父、山本健一は燃費を40%向上を目標とした
「フェニックス計画」を発動する。不死鳥のように蘇るという願いを込めて・・・。
見事、燃費40%向上に成功し発売したRX-7。売り上げは好調だったが、一度落ちた評判を取り戻すまでにはいたらなかった。
マツダはロータリーエンジンの真の力を証明するため、ルマン24時間耐久レースに出場する。
初めこそ惨敗したが、回を重ねるごとに順位を上げ、1991年6月22日。ついにマツダのロータリーエンジン車がルマンを制した。それはルール改定によりロータリーエンジンが参戦できる最後のルマンであった・・・。
ルマン勝利の勢いに乗り発売した新型RX-7。飛ぶように売れた。
波に乗った会社は規模の拡大を図った。しかし・・・。
バブル崩壊。
高額なロータリーエンジン車は売れなくなった。
業績は悪化の一途をたどり、ついにはフォードの傘下に。
新しい上層部の方針により、従業員6000人削減、下請け会社への受注は減り、
そしてロータリーエンジン開発部は解散する・・・。
しかし、ロータリーエンジン車開発の夢をあきらめていない人たちはいた・・・。
彼らは通常の業務終了後に新ロータリーエンジン車の開発に取り組んだ。
エンジン設計チームはエンジン内部に水の通り道を作り、エンジンを冷却。
これにより禁断の技術といわれ、あのロータリー47士が開発を断念した
サイド排気を利用することに成功する。
パワーをあげるため、あの「悪魔の爪あと」を解消した技術、
アペックスシールの改革を行った。
ボディ開発チームは上層部からの4ドアの命令に苦しんでいた。
解決のため、ドアを観音開きにした。これにより、通常の4ドアに比べ車体が15cm短くなり、重量では10kgほど軽くなった。
さらに、後部のドアをアルミ製にすることで、更なる軽量化を行った。
平成15年。新型ロータリーエンジン車RX-8が発表される。
ロータリーエンジン車の物語は、まだ始まったばかりである・・・。
「自分の作った作品を、最高だと思うようになったらそこで終わり」
常に先を目指す、その重要性を思い知った言葉だった。次週の放送はないので、今回が事実上の最終回。それにふさわしい話だったと思う。
ロータリー47士の合言葉がある。「寝てもさめても」
広島の三次にあるテストコース。その中心にはロータリーエンジンの生みの親、山本健一の言葉が刻まれている。「飽くなき挑戦」
「寝てもさめても、飽くなき挑戦」
大変面白かった。ちなみにこの文章はほとんど俺作です。
コメントヨロシク。
超大作「HIYARI-HAT」計画進行中!
今日の献立
朝 納豆 おでん 味噌汁 ご飯
昼 弁当
晩 お好み焼き
プロジェクトX最終回まで あ あ あと ・・・あああ14日ぃぃぃぃ・・・・・
S野へ 巣・・・